北海道ツーリング

フェリーへ

6/12日(土)とうとうこの日がやってきた。ライダー全ての憧れの地である北海道にむけて出発である。 初めてのソロツーリング、そして初めてのキャンプにもチャレンジ予定だ。

テント、シュラフ、着替えなどを携え意気揚々と出発する。今日は一日かけて新潟港まで移動する。11:50のフェリーにのって北海道に行く予定だ。時間はたっぷりある。しかし意外に新潟は遠いのを昔経験済みなので、昨日のうちに買っておいた朝飯をほおばった後、9時に出発する。 14時間もあれば、ゆっくり休みつつ行っても十分だろう。

17号でずっと行けば新潟に着くだろうという予想のもと(ちゃんと地図を調べていない)環8から17号に入り、あとはひたすら北上。しかし、土曜日のこの時間は結構な交通量で、また天気が非常に良いので猛烈に暑い。時間の割にはあまり進まないためイライラしつつ、新潟を目指す。

この緩やかな渋滞(時に大変な渋滞)は高崎を抜けるまで続いた。やはり関越を使った方がだいぶ楽だったかな、などと多少後悔をする。まあ時間はたっぷりあるんだし、焦らずに行こうと気を取り直し、走り続ける。

新潟県に突入するが、地図がないので港がどこにあるかよく分からず不安になる。仕方なく近くのコンビニで新潟の地図を購入し、港までのルートを確認する。

どうやら17号は港まではたどり着いていなくて、途中から8号に乗り換える必要があるようだ。ルートが確定したので安心して新潟港を目指す。日も暮れてきたが、夕方7時頃新潟港に到着した。まだまだ時間はあるので、飯を食おうとあたりをうろうろし、近くの寿司屋に入り今晩の飯を食らう。

そして、フェリー内のレストランは高価なことが予測されるため、明日の分の食料もコンビニで調達しておく。これで準備は万端。搭乗手続きをして乗船をまつ。明日は丸一日船の上だ。この間にしっかり北海道での ルートを研究しておこう。

船上では全く暇だ。外を見ると雨が降っている。どうも北海道も天気は芳しくないようだ。フェリーに風呂があるので、とりあえず入ってみることにする。そういえば昨日は移動のみで風呂に入れなかった。 きれいな身体で北海道入りを果たそう。

小樽にて

とうとう蝦夷の地に到着した。もう夕方であるからとりあえず宿に行ってみることにする。あと簡単に小樽の街も探索してみよう。しかしこの街は坂が多い。港からすぐ山なので、坂だらけだ。しかし道は広く走りやすい。小樽駅を見つけ、その脇の急な坂道を上ると今日の宿があった。

宿を訪ねると数人常連?らしき人がいて、話をしていた。荷物を運んだ後話に加わり、小樽情報ならびに北海道情報を各種入手する。いままで北海道各地を攻めこんだらしく、広い北海道の各要所々の重要な情報を得ることが出来た。また、取り締まり情報や、熊出没情報も入手できた。

せっかくの小樽なのですしを食おうと、寿司屋情報も聞き出す。寿司屋通りもいいけど、他にもお奨めがあるらしくそこを訪ねてみる。とりあえずカウンターに座り、お奨めコースを頼む。各種すしと、イカそうめん、かにのみそ汁などが出てきた。全ての品が絶品のうまさだった。

晩飯を食べた後、宿に戻ると先ほどの情報屋は消えていた。どうやら宿に遊びに来ていただけのようだ。そのうち今夜この宿に泊まる客がぼちぼちとやってきた。寝る部屋は狭いのでみんな広間に集まって、話をする。みんないろんな事情でここに来ているらしく、(ツアラーは俺以外には2人)いろんな話を聞くことが出来た。

夜中12時までみんなで話をした後、床につく。今の時期の北海道は過ごしやすく、ゆっくり寝ることが出来た。そして朝が来た、とても天気がいい。女性客をさそって一緒に屋根の上に上がってみる。高台にあるので、小樽の街が 一望できる。北海道にやってきたという実感を感じつつ、宿を出発する。

北へ向かって

北海道ツーリングが始まった。今日のメインの目的は稚内、宗谷岬に行ってみることだ。しかし距離的には300km程度あり、結構な距離である。いったい何時頃に到着できるのか、はたまた今日は途中までにしておいて、明日行った方がよいのかなどと、考えつつ、とりあえず バイクを走らせていく。

札幌をぬけるまでは結構町中であり、道が広い程度で普通のところだ。しかし、札幌を抜けると周りには何もなくなり、左手には海、右手には草原や林となる。しかもいくら走ってもほとんど景色が変化しない。おぉこれが北海道か!と感動した。まさにほっかいどうはでっかいどうである。

道は広く、車は少ない。ついつい出過ぎてしまうスピードを抑えつつバイクを北上させる。街と街の間が異常に離れている。ガソリンの残量に気を配る必要があるとおもいつつ、ひた走る。ただただ、走るのみなのだがなぜか楽しい。走りながら楽しい自分にいったい何が楽しいのか問いただしてみるが、よく分からない。ただ、だだっぴろい大地を駆けてゆくことで本当の走る喜びを感じているのかもしれない。

そのうち対向車線にバイクを発見する。向こうもツーリングかなと思っていると、速攻でピースサインがやってきた。 当然のごとく俺もピースサインを返す。やはりピースサインはツーリングの醍醐味の一つだ。そしてやはりライダーの聖地北海道だ。当然のごとくピースサインがやってくる。その後数台に出会うがすべてのライダーとピースサインを交わす。確率100%だ。加えて何と車椅子のツアラーからもピースサインを もらった。これには驚いたが、非常にうれしい体験だった。当然のごとく俺も派手に返しておいた

途中展望台等に立ち寄りつつひたすら北上する。だんだん寒くなってきた。服を一枚追加する。 やはり真北に直進しているので、寒くなっていくようだ。空気もオホーツクの空気がやってきていて 冷たいのだろう。宗谷岬はもうすぐだ。

ガソリンがなくなりつつあったので、稚内で給油をした。すると日石で最北端の給油所らしく、最北端で給油しましたといった証明書をもらった。なかなか粋な計らいである。その後判明したが、出光も近くにあり、そこも同じようなサービスを行っているらしい。(キャンプ場で一緒になったライダーから聞いた。もらえるものはそれぞれ違う。)

宗谷岬に到着する。最北端らしく?寒い。気温12度だ。札幌では28度もあったのにえらい違いだ。 宗谷岬にはただの記念碑などがあるだけだが、妙に感動した。今回の大きな目的の一つが達成された。 さて、あとは今夜の寝床を探そう。

今日はせっかく持ってきたテントを使ってみるため、キャンプ場で宿泊する。テントは池ピーからの借り物だ。 途中で出会ったライダーにクッチャロ湖にいいところがあると聞いていたので、そこに行く。

キャンプ場はきれいな芝生の広場になっており、トイレや水道、洗濯機まである。すばらしいのが、すぐ上に温泉があることだ。クッチャロ湖に沈む夕日の中、テントを設営し、宿泊準備を整える。そのうちここを教えてもらったライダーもやってきた。その人がテントを張り終えたら一緒に温泉に行く。

温泉は少しぬるっとした感じのあるお湯で、とても気持ちよかった。温泉の休憩所が9時までとあったので、そこで、9時までずっとツーリング話で沸いていた。その後テントに戻り寝る。少々蚊に悩まされた。

東へ東へ

朝が来た。結構冷え込む。とりあえずテントから出ると、まあまあの天気だ。 少々雲が多いが、ばかっ晴れよりは走りやすいだろう。 早速テントを片づけて出発の準備だ。せっかく温泉が近いので、朝風呂も考えたが 今日もたくさん走るつもりなので、朝から疲れてもなと思い、すぐ出発することにした。 

今日の最初の目的地はサロマ湖だ。ここはホタテが有名らしい。ホタテを目指してレッツゴー。

相変わらず、地図では近いが走ると遠い。そして、サロマ湖も地図ではそんなに大きくないが、 実際はほとんど海だ。でかい!。とりあえず展望台を目指してみる。

途中休憩していたらジェベルの人がいて、少し話をした。岩国(山口県)から来たらしい。車のおっさんなんかもなぜか話に加わってきて栄養ドリンクを渡して、頑張れと言い残して去っていった。休憩していると結構いろんな人が声をかけてきて、おもしろい。これもまた旅の楽しみの一つだろう。

 道の駅に立ち寄るとホタテがあったので、食ってみる。うまい!しょっぱいが汁まで、全て食い尽くす。 ここにはなんとホタテソフトクリームがあった。しかしおばちゃんの顔色からすると、お奨め賞品ではないらしい。

しかし、せっかくだからと発注して食ってみる。しかし普通のソフトクリームだ。 いったいどこがホタテソフトだろうと思っていると、中心部にホタテの貝柱が入っていた!。

あまりに無理矢理過ぎると思いつつ、その貝柱を食ってみるが、当然のごとく塩味だ。そして周りのソフトは甘い。 全く味はマッチしていない。これを食ったら岸朝子は憤慨してしまうに違いないとおもいつつ、完食する。

はっきりいって別々に食った方が断然いい。口直しにと、またホタテを食って、出発する。

昼飯を別の大きな道の駅のレストランで食う。ホタテラーメンがあったので、またこれを注文する。 席に座ると、隣の席には昨日のキャンプ場で出会った一緒に温泉に入った人とは違う人が、食っているところだった。 休憩ポイントはだいたい限られているから、結構出会うねなどと話をし、どこどこ行って来た、などと巡ったポイントを話した。運び込まれたホタテラーメンもなかなか良かった。

飯を食いながら、今後の予定を考える。海岸線ばかり走ってきたので、少しばかり内陸に入ってみたいと思い 計画を練る。いいキャンプ場があったので、そこを目指すように山道を走り回ってみることにした。 

いままでの海岸線の道に別れを告げ、山道に入る。もう車はいっさい出会わない。ガソリンが心配になり、 やっと見つけたスタンドに入ると、ジュベルの人がいた。どうやらすぐ近くのキャンプ場にいくらしい。 おれはちょっと山に入ったところに行くと言って別れを告げ、出発する。

キャンプ場付近にやってきたがいまいち場所が分からない。案内所のおばちゃんに話を聞くと、えらく 親切に教えてくれた。優しいので、このあたりの名物などもいろいろ聞いた。そして温泉を聞いたら、 ちょっと離れたところに、つるつる温泉というのがあってそこがいいから行きなさい。といわれ、行ってみることにした。 おばちゃんの話ではそこはすごくいいらしく、はだがつるつるになるらしい。 

とりあえずまずキャンプ場に行きテントを設営して、準備を整えた後、温泉用具を携えてつるつる温泉を目指す。そこは露天風呂で(混浴ではない)とても気持ちよかった。爽快な気分での帰り道、牛乳屋に寄った。

このあたりは牧場が多く、牛乳が名物らしい。風呂上がりの火照ったからだで、牛乳を飲み干す。 しかし、そこのおばちゃんが話し好きで、俺とかなりの間話し込んだ。その間も牛乳を飲んでいたので、4杯くらい飲み干していた。やっと解放され、テントに戻る。おなかがちょっとおかしくなりかけている。 もう一杯飲んだら、アウトだったと思う。危なかった。

 キャンプ場にはチャリのキャンプのおっさんがいた。すこし話をしたのだが、これは失敗だった。 いまいち言葉が理解できない。よく分からない訛が入っている。そのおっさんは後から現れた アフリカツインのひとに任せて、テントに戻って寝た。この日夜中に少し雨が降ったが、小雨程度で済んだ。

アクシデント

上陸後3日目の朝がやってきた。夜中雨が少し降ったが、朝には止まっていた。 天気はまだ回復せず、天気予報では今日明日から崩れるらしい。せめて今日一日はもって欲しいと思いつつ 出発する。

きょうはまずは網走に行く。昨日通った山道とは違う道を選んで網走を目指す。相変わらず景色はすごい。 なんというか全てが大きい。そんな景色に感動しつつ網走に入る。

いくつか観光スポットがあるが、 当然のごとく網走刑務所博物館を目指す。館内はなかなかおもしろく、ツアーが何組か合ったのでそれについて回っていくつか説明を聞く。お約束である獄中写真をとり、脱走?する。

次は知床半島を目指す。ここの知床峠はなかなかいいらしい。また、滝壺の温泉があるので、それもねらってみよう。快適にとばして知床半島に行く。半島内の道にはいると、かなり曲がりくねった道になった。 北海道はほとんどまっすぐの道ばかりなので、久しぶりにフルバンクを楽しむ。調子に乗って走っていると道を間違えてしまった。 すぐさまUターンをする。

ここでアクシデントが起きてしまった。上り坂でのUターンだったため少し難しかった。そして足を付いたのだが、バイクが支えきれず倒してしまった。ショックを受けつつ引き起こしをするが、坂のせいもあり大変だ。 気合いを入れて起こしにかかったそのとき、「ゴキッ」と身体の中で大きな音が響き渡った。

あまりの激痛に我を失ったが、どうやら腰骨をヤったらしい。いわゆるぎっくり腰だ。それは猛烈な激痛だ。再度バイクに歩み寄るが、這うだけで精一杯だ。とりあえず痛みが収まるのを待とうと、道路脇に寝ころぶ。ものすごい激痛だ。あたりは静かで、風の音だけが聞こえる。

と、道路脇の笹林でがさごそと 物音が聞こえる。そういえば熊出没注意の看板があった。そしてすでに道内ではいくつか出没していることを聞いていた。やばい熊だ!と思い、逃げようとしたが、体を起こすことさえ出来なかった。なんとか首が動く程度で、起きあがることはいっさい出来ない。これでは逃げることもできないと覚悟を決め、死んだふりでやり過ごそうと思ったとき、音の正体が現れた。

そいつはシカだった。何とか難を逃れたが、事態は進展しない。携帯を見てみるが 当然圏外表示だ。くるまもなかなか通らない。どうしたものかと途方に暮れていた。

5分少々して、車が来た。ドライバーは近くまで来て飛び降り、どうしました?と訪ねてきた。 事情を話していると、もう1台車が来て、様子を見に来た。その人たちにバイクを起こしてもらい、とりあえず道路脇まで移動させて置いてもらった。

そして、最初の人が車で引き返して、救急車を呼んで来てもらった。 救急車に乗って病院まで行ったが、えらく遠かった。いっさい動けず、何もできなくなかったのだが、病院の人は優しく、バイクの処理やいろんな所への連絡などを行ってくれた。俺は微動だにせず激痛と戦っていた。

絶対安静

腰にコルセットを巻かれベッドに寝る。薬にアレルギーのある俺は、鎮痛剤が使えない。よって、痛みはひたすら耐えるだけである。初日は痛みで全く動けない。寝返りも手伝ってもらわないと身体が動かない。動作可能なのは、手が動くのと、首が少し回せるだけだ。あまりに不自由であったが、当面激痛の方が大変であり、不自由さなんかはどうでも良かった。

入院3日目。痛みが引かないので、注射を打つ。骨盤と背骨の付け根に打つらしい。 しかし鎮痛剤ではなく炎症止めらしく、じわじわと痛みが引くはずだ、ということらしい。

しかし注射を打つとき、骨盤が割れるようにいたくなったら言ってくださいなどと、恐ろしいことを言いながら打つので、どんなに痛いんだとおそれおののきながら、注射を打たれた。顔が青ざめながらの注射だったが、腰の痛みで、注射の方が気づかなかったのか、なんとか無事に済んだ。 当然即効性ではないので、腰痛は変わらない。また痛みと格闘する。

その日の夕方からすこし痛みが引いてきて、自分の手で、腰をささえつつだが、寝返りが出来るようになった。しかし起きあがることは出来ない。休暇はあさってまでなのだが、当然これでは帰れない。 帰宅は諦めて、養生に専念する。 

ご飯は起きれないので寝ながら食べる。いまいち消化が悪い。せっかくの北海道なので、蟹とかウニとかを期待したが、病院なので当然出なかなった。

そのうち座れるようになる。車椅子を借りて、うろついてみる。救急車→ストレッチャー→ベッドと 運ばれたため、いったいどんな病院なのかもいっさい分からなかったので、探検する。売店のおばちゃんと仲良くなり、いろいろ話をする。

飯時にはマヨネーズを借りた。マヨラーの俺にはとても助かった。やっと歩けるようになる。へまをして再発したら困るので、ゆっくり歩く。痛みもだいぶ収まってきて 暇になった。せっかくなので、洗濯をする。どうやら退院も近そうだ。

入院費などを払う必要があったが、持ち合わせがない。事務の人に相談したら、銀行までつれていって くれるといった。あまりの親切さに感動しつつ、銀行までつれていってもらった。加えて、ついでだからと街を一回りして観光案内までしてくれた。

名物や特色、街の問題などまで、聞かせてくれて、病院に戻った。 バイクでは通過するだけだったが、いろいろ知ることが出来た。 さあやっと家に帰れる。結局10日間入院した。

故郷(くに)へ帰る

お世話になった病院に別れを告げ、飛行場に向かう。女満別空港からフライトの予定だ。 事前に調べたとおり、汽車で網走まで行き直行バスで空港に向かう。

飛行機は嫌いだが、 この際は仕方がない。1時間半程度でもう羽田だ。東京に戻るとえらく蒸し暑い。 北海道は過ごしやすかったが、東京は最悪だ。まだ曇りで実はあまり暑くないらしいのだがいままでが良すぎたため、耐えれない。

まだ腰のほうは完治はしていないので、痛む。 すぐさま家に戻り寝る。横になれば痛みはない。また新たな爆弾を抱えてしまった。

おまけ

北海道に行っていろんなものを得ることが出来た。人はみんな優しく親切で、とてもいいところだ。景色は全て雄大でとても感動する。2日半しか駆け回ることが出来ず残念だったがまたこの地を訪れたい。 また、よけいなものも得ることが出来た。腰にセットされた爆弾と、心に刻み込まれたチキンハートだ。

主な原因となったバイクはたたき売ってしまった。フル加速で脳汁(エイドルフィン)大放出させてくれる、いいバイクだったが、次転んだことを考えると、もう乗れない。もう重いバイクはやめようと決めた。 ただ、バイクはやめれない、そしてビッグパワーを知った今、400ccなんかもう乗れない。 ということで、R1がほしい今日この頃だが(まず買えないけど)次のバイクは何になるやら。

さいごに、お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。